サカタカツミノブログ

個人的なブログ。ブログなんてすべてそんなものだけど。

シンプルに考える大変さ。

f:id:KatsumiSakata:20180907114223j:plain

モノを減らしたり、ライフスタイルを簡素化したり。それらを指南する書籍をいくつか拾い読みした。重要なのは、自分が気持ちいいと思える状態にしておくことで、シンプルにそれだけでいいと、それらの本には書かれていた。よく考えればわかるのだが、それは難しい。そもそもモノに囲まれたり、カオスな状態なライフスタイルが気持ちいいと思える人にとっては、そういう手段を選んで実行すること自体が気持ち悪い。なにを当たり前のことを書いているのだ、と怒られそうだが、この視点、意外と忘れがちだ。

自分にとって良いものであっても、他者にとっては耐えられないほど不愉快なものであるかもしれない。逆にいうと、自分が嫌だと感じていることであっても、他者はそうでもなく、むしろ快適なのかもしれない。そう考えると、快適に過ごすための方法が見つからなくなる。自分ではない誰かの考えに、それこそ、いとも簡単に触れられる時代になったからこそ、ストレスは増している。そして、自分も他者に考えを垂れ流すことによって、自分自身を守ろうとすることもまた、増えた。その罠から逃れるのは難しい。

働くをリセットする瞬間。

f:id:KatsumiSakata:20180624191123j:plain

働く女性の見本がとても少ない時代があった

 大学を卒業して就職をするという道筋が当たり前の時代になりつつありますが、この道筋は昔からあったというわけではありません。いまから30年近く前に、新卒採用のためのイメージ広告を作成するために、わたしがある企業の人事部へと打ち合わせに訪れた時に、ついでに、と相談されたのは、本社に女子トイレが一つしかないことでした。これから女性がどんどん職場に進出してくる、少なくとも本社(とても大きな企業でした)勤務になるとしたら、トイレが間違いなく不足する、それはわかっているけけれども、そもそも女子が数多く入社するのか疑問だ、という時代だったのです。

 いまとなっては笑い話ですが、かつてはそんなことを考えなければならないほど、女性が働く、こと長く、あるいは出世をしながらという状況は、一般的ではありませんでした。ですから、働く女性にとって見本となる人はとても少なく、貴重な存在だったのです。その、ごく一部のデキる女性たちが先頭を引っ張って、現在の女性のキャリアのロールモデルのようなものが形づくられてきました。俗に(厳密な意味では違うのですが)『雇均法一期生』と呼ばれる女性たちが、それにあたります。手探り状態の中、どのように働けばいいのかと、一生懸命考えてきたのです。

見本が増えすぎたからこそ見本を見失ってしまう

 しかし、最近の女性のキャリアには少しずつ変化が起きているようです。かつてのように、誰もが知っている手本となるような女性を目指すという働き方ではなくて、周囲を伺いながら自分らしく働くという選択をする人が増えているのです。理由はとてもシンプルで『見本となる人が増えた』ことにほかなりません。有名ではないけれども、自分にとっては憧れる見本が、それこそ就職活動をしているときから存在して、その人を目指すというスタイル。遠く離れた、とても手が届かない人ではなくて、少し頑張れば真似できるかもしれないという点も、とても大切なようです。

 少し前を走っているだけなので、その背中は追いやすい。テレビで、パソコンの画面の中で、書店で、そんなかけ離れた場所で見かけるような人は目標にもなりませんが、目の前で働いている先輩なら、なんとなく頑張れればという気になるのは、わかるような気がしますよね。けれども、30歳を過ぎて、ふと、改めて前を見てみると、ひとかたまりの集団なっていたはずの先行集団が、実はばらけ始めていることに気がつくのです。昇進、結婚、出産、転職、独立。見本となる人は同じトラックを周回していたはずなのに、だんだん別のトラックを走り始めていることに愕然とするのです。

戸惑って立ち止まってしまうキャリアの曲がり角

 こう書くと「そんなことない。もっと前にそうなることに気がついていたはず」という声が聞こえてきそうです。その指摘は正しい。が、多くの人は問題を先送りしたがるのが世の常。さらに、問題を深くしてしまうのは、30歳を過ぎたあたりから、自分の能力にある種の見切りをつけなければならないと、思い込んでしまうことです。見本にしていた先輩たちのいまを見て、自分の現在の能力を比べてみると「このくらいまではいける」逆に「この程度しかいけない」と、勝手に悟ってしまいがち。そのタイミングと先行集団がバラける時期が重なると、どうにも戸惑ってしまうようです。

 ただ、このタイミングだからこそ、戸惑って立ち尽くしているのではなく、改めて自分のキャリアを見直してみる絶好の機会なのです。日々そういうことを考えているという人は別にして、多くの人は自分のキャリア、働くことと暮らすことなどを、真剣に考えたのは、就職活動のタイミング以来なはず。そう、その頃の自分といまの自分は少なくとも、まるで違っているはずなのです。もうすっかり別人になったと自覚して、改めてこれからどうするのかを検討してみることをお勧めします。方法は簡単。働き出したころの気持ちを『引っ張りだしてきてみる』ことから始めてください。

前を行く人を追いかけるという働き方から脱却してみる

 新しいロールモデル、つまり見本となる人を見つけるという方法もあるのですが、いつまでも他人に依存しているようだと、その人が大きく道を変更したときに、またしても戸惑ってしまうこと請け合いです。それならば、次の道は自分を信じて、自分なりに進むプランを立てるほうがいい。その基準となるのが、過去の自分です。働き始めたときに思い描いていた自分といまの自分。比べてみてどうでしょうか。違っていることが悪いことではないのです。そのときに考えていた未来と、いまが全く違っていたとしても、いまに満足しているならば、問題はない。逆に不満でもまったく問題なし。

 これを読んでいるあなたが、35歳だとして。22歳で大学を卒業、就職してから12年ほどです。65歳まで働くとして(数字でみると長いですね)あと30年あります。ということは、あなたが経験してきたキャリアよりも長い年数が、まだ残っているとも考えられる。少なくとも、働き方を見直し、新しいチャレンジをするのに遅すぎると断言する年齢ではない。としたら、先を見失ったこと、戸惑っている状況を好機到来と捉えるのがベストなはずです。とはいえ、働くだけが人生ではないので、それはそれで難しいところなのですが。それはまた機会を見て書くことにします。

ほんものとにせものの間。

f:id:KatsumiSakata:20180624190442j:plain

この人は本物、とうっかり信じてしまって、後で悔やむことがよくある。逆に、あの人はうさんくさいと思い込んでしまって、そうじゃないことに気づき、うさんくさいと誤解していた時間を惜しんでしまうことも、割とある。その間にあるなにかは、よく似ていて、判断がとても難しいのだ。紙一重というほどは薄くないけれど、まあ、それに近いかもしれない。仲良くなった、尊敬した、もしくは信頼した、その後でやってくる真実は、意外なほどダメージが大きい。だからこそ慎重に、と思うが、失敗を繰り返す。

ただ、なにが本物で、偽物はなにか、という定義は曖昧というより、正解は無い。ある人にとっては本物だけど、別の人にとっては偽物だというケースはざらにあるだろう。もしかすると、後から偽物だと気がついたと思っていても、実際には、出会ったときには本物だったけれど、今の自分にとっては偽物になってしまった、のかもしれない。そう考えると、どんな時も、誰に対しても、本物な存在でありたいと、それを目指すことは、途方もなく難しいと思えてくる。いや、別に目指しているわけじゃないけれどさ。

ただうまいものを食べる。

f:id:KatsumiSakata:20180706214727j:plain

うまいものを食べるのが好きだ。シンプルになんのてらいもなくいえる。趣味らしい趣味がないので、食べ歩きが趣味ですかと問われることもあるが、基本的には食べ歩かないので、食べ歩きは趣味じゃない、きっと。美食なのかといわれると、そうなのかもしれないが、そうでもない時もあるので、グルメだのなんだのというカテゴリには入らないと思う。レストランのレビューサイトも見ないし、レストランガイドも買わなくなってしまった。おいしいものを食べたいときは、誰かに紹介を乞う。それが基本である。

それでおいしいお店にたどり着きますか、という質問を受けるが、ほぼ、たどり着く。もちろん、味にしても接客にしても、それこそ、店の雰囲気にしても、相性の問題があるので、紹介してくださった人にとっては素晴らしい店であっても、わたしにとってはそうでもないということも多い。逆もまたしかり。ただ、うまいものを食べたい、そのまっすぐでいながら揺らぐことのない思いを、周囲に熱心に伝えておきさえすれば、まあ、多くの人は簡単にお店を紹介してくれなくなるはず。そして、そこが重要なのだ。

有能な上司のみわけかた。

f:id:KatsumiSakata:20180429132527j:plain

心配しなくても、上司が有能であるかないかは、たいていの場合、見分ける必要はない。ほとんどの上司は有能だし、もしあなたが上司の無能さを嘆くのであれば、あなた自身がきっと有能なはずだ。だからというのも変だが、上司が有能だろうと無能だろうと、実はそれほど大きな影響はない。正しくいうと、所属している組織が、ある程度健全に機能していれば、だけど。組織というのは、その恒常性に目を見張らされることが多い。きちんと設計された組織は、割合にうまく機能して、問題はそれほど起きない。

やっかいなのは、上司の不必要な行動だろう。やらなくてもいいことをやる、端的にいうと邪魔したがる上司だ。さらにこの人、一見すると無能に見えない。むしろ有能に思えることもある。が、この類の上司がいると、組織は健全さをなくし、そこに関わる多くの人たちの貴重な時間と、そこにあったやる気までも、どこかへ消え失せてしまう。それを結果として無能と言うんだと嘯くのは簡単。しかし、単なる能力不足のほうが、影響力がそれほどなく、被害も小さくなると思うと、少しわけて考えておくとベター。