サカタカツミノブログ

個人的なブログ。ブログなんてすべてそんなものだけど。

進化し退化して進化する。

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月に何度か足の調子がすぐれない日がある。といっても出かけないわけにはいかないので、足に優しいシューズに頼ることになる。包み込む感覚が素敵すぎるのに、がっちりとホールドする能力はとても高くて、このシューズを選んで良かったと、それこそ何度でも思わせるくらいの性能を発揮してくれる。写真のように色違いで何足も揃えるのはファッションでもなんでもなくて、シューズの痛みを最小限にするためのローテーションを実施するための策。NB1400に、それこそ、全幅の信頼を置く私。愛してる。

先日「靴が進化することで、人の足は衰えている。なので、進化しすぎることはよくない」という趣旨の記事を見た。確かになと、合点がいった。疲れにくいシューズばかり履いていると、そうではないシューズに履き替えた時の、足への負担が違いすぎることに気がつく。痛む筋肉が違う、とでもいえばいいのか。とにかく、変なところが痛む。ただ、靴が進化することで、肉体的な退化を産む反面、その進化が、衰えた肉体をカバーもしてくれることを、見落としてはいけない。物事にはいろいろな側面がある。

年齢なりに成長すること。

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年相応という言葉がある。当たり前のように使っていたけれども、実は意外にそれは難しいことに気がつく。ある年齢になれば、その年に相応しい役職について、それ相応の振る舞いをしていると、勝手に思い込んでしまっていた。が、実際のところは、年をとっただけでは、それ相応の振る舞いはできないし、役職もついてこない。容姿だけが年老いて、中身は全くない。地位は与えられたとしても、その地位に求められる職務を全うするだけの能力が備わってないので、逆に苦しむばかり、ということにもなる。

だからといって、いつまでもそれを放置しておくわけにはいかない。人は黙っていても年をとるし、結果的に、年齢を重ねるにしたがって、周囲から求められることが増えるのだ。お肌のハリや希望など、失うことはたくさんあるのに、求められることは多くなる。理不尽なように思えるが、こればかりは仕方ない。そうやって、人はある意味、この世に生まれてきた役割を果たし、消えていくのかもしれないと、深く考える。いや、別に深くもないか。要は、日々成長することは、自分のためだけではない、という程度の話。

気配りすることの難しさ。

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周囲にまったく気配りができない人がいる。人の話を聞いていないというレベルではなくて、そこにまるで自分しかいないように振る舞う、という凄さ。もっと周りを見渡していれば、人の話に耳を傾けていれば、相手の気持ちを察することができれば、いまのようなことにはならないのにと、おせっかいだけど思ってしまう。けれども、相手にそれを期待することは酷なのかもしれない、とも考える。目の付けどころは、人によって大きく異なるのだから。でも、勝手に期待してしまうのが人の常。自分にもできるのだから、とか言いながら。

当然、自分も見ているようで、実はまったく見えていないことがたぶん多くて。その結果、周囲に気配りができない人物である、という評価を受けている可能性は高い。少なくとも、そういう風に手前勝手に考えておくことで、ある種の行動を促し、別の種類の行動を抑制することになるのだから、損は少ない。いや、少し違うか。どう考えても見えない部分がある、そして、その部分はいくら想像力で補ったとしてもなお、配慮が足りなくなるのを自戒するとともに、相手に寛容になる準備をするということか。許すという行為は、気配りよりも難しいし。

狂わずに止まらないこと。

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MacintoshはSEあたりから、クライアントに専用のリュックサックに入れて運び、ハイパーカードを使ってプレゼンテーションをしたり、Newton MessagePadは歴代持っていて、その大きさに閉口しつつ、無理して使ったりしていた。Appleにお布施を払うのが大好きだったわたしは、当然Apple Watchは興味がありすぎ、店に何度も足を運び、手に取り、こっそりとはめてみたりして、インターネットの画面で購入のボタンを押しては、キャンセルを繰り返していた。うん、単純に欲しかったのだ。素敵だし。

結果として、手元にApple Watchはない。わたしが時計に求める機能は、狂わない止まらない。逆にいうと、この機能を満たすためにかかるコストが高いとなると、購入を躊躇するに価する(変な日本語・笑)。Apple Watchはその点、狂わないということに問題はないけれども、止まらないという点に大きな問題を抱えていると聞くし。充電を忘れたから使えない、それはとても困る、という存在になりそうだから。ただ、同時に「時計として考えなければいいのか」と、買う理由を探してもいる。

そこにある自由について。

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Macに最初から入っている辞書を使って自由と調べてみると面白かった。以下、一番の意味だけを、引用してみる。

他からの強制拘束支配などを受けないで,自らの意志や本性に従っていること(さま)。自らを統御する自律性,内なる必然から行為する自発性などがその内容で,これに関して当の主体の能力権利責任などが問題となる。哲学的な意味では,自らを自律的に統御し,内なる必然から自発的に行為すること。外的自然からの自由,内的自然(理性や意志以外の要因)からの自由,他人による強制からの自由に分かれる。意志の自由とほぼ同義。社会学的な意味では,社会集団が個人の自律的な判断決定能力を発展させる構造的条件を備えていること。基本的人権のほか価値規範体系の整備なども含む。「―な社会の実現」政治的歴史的には,時代によって異なる内容をもつ。古代ギリシャでは奴隷などと区別されたポリス市民固有の属性,すなわちすぐれたものへの洞察力を意味したが,中世ヨーロッパでは身分的特権の別名であった。近代のリベラルな自由概念は一七世紀の宗教戦争以来成立し,市民革命を経て強化確立され,宗教的自由から思想信条の自由が,さらにそこから言論出版の自由が要請された。この過程で,権力と対立しこれを制約する自由という視点も出てくる。マルクス主義的には,社会全体が解放され,人格の自律が真に達成されることが重要視される。

簡潔をもってよしとするはずの辞書でも、このくらい饒舌になるほど、自由を説明するのは難しい、ということなのだろう。