サカタカツミノブログ

個人的なブログ。ブログなんてすべてそんなものだけど。

オサケノナイニチジョウ。

f:id:KatsumiSakata:20210510191720j:plain

世の中からお酒がなくなったわけではないけれど、飲食店でお酒を提供してはならない、正しくいうと提供をしないて欲しいと要請される時代である。家で飲んだりしない、路上で飲んだりしない、公園で飲んだりしない、という人にとっては、お酒のない日常が続いている。もちろん、お酒がなくても素晴らしい料理を口にすると「あー、生きていてよかった」と実感するし、お酒がない日々もそれはそれで悪くない、と思ったりもする。でも、それは時々のこと。

感染拡大を防ぐために外出しないで、と要請されているので、それに従うというほどではないが、居住区から出ないで、日々その中をグルグルと散歩している。東京の下町エリアなので道はそれなりに真っ直ぐついているのだが、旧い街並みもまだまだたくさんあって、退屈ではあるけれども、それほど飽きない程度には散歩が楽しめている。そして、民家の軒先には意外に鉢植えがあって、そこにはたくさんの花が咲いていることにも気付く。それをパチリと撮る。

そして僕は途方に暮れる。

f:id:KatsumiSakata:20181008230010j:plain

贅肉がたくさんついている身体の持ち主なので説得力はゼロなのだが、スリムであることはとてもいいことだ。といっても身体のことではなく、組織や仕事についてのこと。常に贅肉がついていないか見直して、ついている、もしくはつきそうだとわかったら、その瞬間からそれを退治してしまう。そうしないと、間違いなく組織や仕事、それらを支える仕組みには贅肉がついてしまって、身動きが取れなくなってしまう。気がついたら贅肉を維持するための贅肉がついてしまっていて、そうなると取り返しがつかない。

ただ、ある程度の贅肉がついているほうが、見栄えがいいと思えてしまうときがある。正しくは、そう勘違いする人が世の中には少なくない。多くの企業が用意している規則や規定の類は『ないと困る』ものは少なくて、むしろ『あると迷惑』なものが多い。セレモニー的なものの多くも、いつの間にか当たり前になってしまったように感じているだけで、実際には必要性を認めにくいものだって多いはずだ。いつの間にか忍び寄るそれらを前に、途方に暮れてしまわないように。そう、ダイエットは今日から、なのだ。

なぜできないかを考える。

f:id:KatsumiSakata:20180923162150j:plain

じぶんになにができるのか、ということを説明するのは難しい。簡単にスキルの可視化というが「それが上手くできれば苦労はしないのだと」独り言をつぶやいてしまうことも多い。じぶん一人のことですら上手く説明ができないのだから、組織がどんなスキルを持っている人を求めているのかなんて、それこそ途方もない話である。もちろん、必要な資格が厳密に決まっているような仕事なら、その資格を持っていることは、と書きかけて、資格があっても仕事ができない人もいることに気がついた。さあて、困った。

とはいえ、そのあたりをあいまいにすることで、不幸が起こるのは、多くの人が承知しているはず。働く現場もそろそろ、なにができる人が欲しいと明確にする時代だと、改めて思う。裏を返せば、企業はそれを明示しないで、働きたいと願う人たちにだけ説明させ続けてきた罪は重い。そう「あなたはなにができるのか、それをアピールしてくれ」と。でも、よく考えたら順序が違う。どんなことができる人が欲しいと明示しなければ、その基準に自分が当てはまるかどうかなんて、わからない。古くて新しい課題。

しないを選択する難しさ。

f:id:KatsumiSakata:20180923114113j:plain

仕事(事業というほど大げさではない)が順調な時には、欲が出る。いろいろとトライしてみたくなるし、新しい人とご一緒したくなる。さまざまなお誘いも受けることになるし、その中には魅力的なものも多い。だから、というのも変だけれども、それをしないという選択はとても難しい。あえてしないといってしまうと、周囲の人たちに、強がっているように感じさせるのではないか、と、一人で勝手に思ってしまうからかもしれない。でもまあ、三十年以上仕事をしてきて、断言できるのは、欲はほどほどがいい。

いままで見てきた中で、後で立ちいかなくなる人たちの多くは、順調と勘違いしてアクセルを踏み込んだ人ばかりだ。その行動の根拠になりそうな「勇気を持って踏み出さなければ成功はない」と嘯く人の多くは、運の良さを忘れてしまっている。運が良くても実力がなければ成功しないが、実力があっても運がなければ上手くいかない。そして、運気のようなものは見つけられないし、兆しを見つけても判断は難しい。しない選択をしてもなお、欲が満たせている人は少なくない。そして、そういう人はかなり手強い。

戦わないことで個性的に。

f:id:KatsumiSakata:20180911150458j:plain

差別化という言葉は使いたくないけれども。多くの場合、違いを見せないかぎり、選ばれることはない。企業であってもサービスであっても製品であっても、それこそ人物であっても同じことだろう。なにか理由があるから選ばれるわけだし、さしたる理由がないとしても、それでも選択されるということは、そこに選ばれなかったものとの違いが存在するはず。それが微差であったとしても。ただ、そもそも選ばれるということは、複数の選択肢の中に身を置くことであり、いわば戦いは必然である。意外にしんどい。

唯一無二の存在になる、ある意味個性的でありさえすれば、複数の選択肢のなかに入らなくても済むかもしれない。逆にいうと、選択肢に入らないようにすることで、個性的な存在になれるかもしれない。戦わないこと、選択肢にならないことで、個性を際だたせる。最近、事業の方向性や、働きかたについて、意見を求められることが多いけれども、大した話ができるはずもない。ただ、ポジションを少しずらすことによってなるべく戦わないで、ちょっとした個性を際立たせる方法を、一緒に考えるようにしている。